概略
Blog(ブログ)とは「Weblog(ウェブログ)」の略称である。
「Web(ウェブ)」と「log(記録)」を合わせた言葉で、書き手の日常や考えていること、あるいは何か特定のテーマについて述べられたものが、時系列で表示されるサイトのことである。
2009(平成21)年3月に総務省から発表されている『ブログの実態に関する調査研究』によれば、
総務省が2006年3月末に集計したブログの登録者数は868万人を超え、2007年4月の米国テクノラティ社の調査では、日本語によるブログ記事が世界のブログ全体の37%を占め、英語(36%)を超えて世界第一位の記事数である。
『ブログの実態に関する調査研究』(2009年)by総務省
と書かれていて、世界規模でも日本国内でブログ利用が盛んだったことがうかがえる。また、同資料の別段においてブログの閲覧に関する報告では、
エデルマン・ジャパンの調査(2007年3月公表)によれば、日本ではインターネット利用者の74%が、ブログを閲覧しているのに対し、韓国では43%、米国では27%、 イギリスでは23%、フランスでは22%となっており、ブログの閲覧頻度は日本が突出して高くなっている。
『ブログの実態に関する調査研究』(2009年)by総務省
とも書かれている。また、上述の資料と同じ時期に同省から発表された『通信利用動向調査』によれば、同年1月に調査開始以来初めて、インターネット利用者が9000万人を超えたと言われていることからも、全体から見ても、ブログ利用者の数が多いと感じられる。
また、別の資料から引用させていただくが、2009年当時のスマートフォン普及率は今とは雲泥の差があり、今のように気が向いたらいつでも、どこにいても快適なインターネットが使える環境でもない。
年々、日本国内における携帯電話所有者のスマートフォン比率は増加しており、2010年にはスマートフォンの所有率は4%程度でした。そして2015年に5割を突破し、2017年に7割、2019年に8割、2021年には9割を超え、2023年にはスマートフォンの比率は96.3%になりました。
NTTドコモ モバイル社会研究所ホームページ『スマートフォン比率96.3%に:2010年は約4% ここ10年で急速に普及』(2023年4月)
インターネット黎明期、Blogがいかに身近だったのか考えさせられる。
体験と回想
当時から20年も経っていないが、インターネットの発展に伴う社会の変化は加速度を増す一方である。
今ではSNSや動画配信等のメディア媒体も増え、ブログ自体がレガシーのようになりつつある。20代の大半をブログに文字を打ち込み、顔も知らぬハンドルネームだけの交流で、毎日盛り上がった体験を持つ身としては寂しくもあるが、逆にそう言う時期を経験しているからこそ、コミュニケーション過剰な現状を冷静に見れるし、距離を置くことにあまり抵抗を感じない。善いのやら悪いのやら。
私がブログに現(うつつ)を抜かすようになったのは、とある理由で松葉杖をつく生活を送るようになってからだ。20代の話である。
もちろん、今は二足歩行しているが当時、初めての挫折を味わい(医師からは挫折ではなく骨折と告げられた)、夢見ていたところから強制的に離れざるを得なくなっていた。入院する前のような自由はなく、不自由なリハビリを日課としていたが、それは元の生活を取り戻すための大事な通過儀礼であったし、環境の急な変化に気持ちは滅入っていても乗り切る自信しかなかった。
それはまだ二つ折りの、いわゆるガラケーと呼ばれていた頃。
インターネットで「ブログ」と言うものがあることを知り、「なんだろう?」と興味を持ち始めた。しかし、すぐには始めていない。今とは違い、新しい物事には懐疑的な性分だった。
携帯電話を持ったのでさえ、仕事するのに必要だったと言うだけで、電話を持ち運んでいる認識しかなかった。
スマートフォンのように何でも叶えてくれる魔法の道具でもなかったし、料金プランも今とは全く違っていた。インターネットを利用した分、パケットが発生しそれに対して課金されるから、使えば使うほど請求額は大きくなる(それでも各キャリアの通信プランで毎月、一定以上の請求は出ないよう設定されてはいた)。
今ほど通信サービス・環境も整備されていない時代ではあったが、勇気を出し個人情報を入力し無料ブログに登録してみた。でも、それから先は何をしたらいいか分からない。今ならGoogleで検索すれば答えはすぐに見つかる。あるいは、SNSで質問すれば親切な誰かがそっと教えてくれるかもしれない。
右も左も分からないの上位互換、右と左があるかさえ分からないという状況に陥っていた。
それでも、知らない誰かのブログをこっそり見て雰囲気を理解し、取り敢えず何かを書いてみた。最初は誰も読んでいないのをいいことに、アホみたいなこと書き連ね、誰の役にも立たないことを書いていたと思う。
ただ、当時はブルースや古い洋楽を好きで聴いていたから、評論のような偉そうなことは書けなくとも、熱意のままに音源を紹介したりもした。若さもあったのだろう、音楽に対する情熱を思うままにぶつけていた。
そのうち、共通の音楽を愛する人とコメント交流するようになって、いつの間にか、その人がいるバンドのライブを観に行くようになっていた。世界が広がった。ブログが世界を拡げたのだ。
それ以外にも、実際に会うことはなかったがいつもコメントをやりとりする何人かと、お互いの記事にコメントを残して、まるで学生の頃の同級生と話すかのように馬鹿なこと言ったり、笑い合ったりもした。不思議な空間、忘れられない思い出。
やがて現実の時間が経つにつれ、私にも友人たちにもそれぞれの環境に変化が訪れる。いつしか交流する時間は減っていき、交わせる言葉も少なくなっていったのだと思う。やがて、私もその無料ブログから退会したことで、インターネット上の友人たちと会うことも、会話を重ねることもなくなってしまった。
所感を込めた書簡はどこへやら
時は流れ、叩いて留守だったら開けずに帰るつもりだったが、どなたかが開けてくれたので40代の門を潜った。
SNSは個々の時間を、途方もない量のコミュニケーションに費やすよう迫ってくるし、動画配信は次から次へと面白いコンテンツ、話題を釣り餌にして五感と時間を奪おうとしてくる。もちろん、楽しい時間であることに間違いない。ただ、なぜだろう。時折、途方もない疲れを感じる。
別に無理強いされているわけでも、途中で停止できないわけでもないのに。止まったり間を空けると、途端に疲れが押し寄せてくるのだ。SNSや動画配信(視聴)は「その場に居続ける」、つまりオンラインであり続ける必要があるが、Eメールやブログには「居なくともいい時間」、オフラインでいられる時間があったように思えてきた。
同じ時間軸で続いていることは変わりないものの、そのサービスに常にログインしていなければならないのか、それともログオフしても関係性が続くか。そこが分岐点になっていると感じた瞬間、無性にブログが懐かしく思えてきた。
ブログ自体は影を潜めたかのように静かでも、完全に消えてなくなったわけではない。むしろ、以前よりもできることが増えた印象がある。
そうだ、もう一度。ブログで、何か書いてみたい。
十数年前に現を抜かした時とは、決して同じにはできない。変わるのも、変わらないのも人生の一部だ。
さて、次回以降の記事ではもう少し実用的に、さらっと書いていきたい。初回だから肉厚、過保護なまでに重厚な文章になってしまったが、もし最後まで目を通していただけたなら、貴重な時間を割いていただいたことに感謝申し上げたい。